「『発信はできない奴がするもの』を変えたい。」富士市の製造業に眠る可能性を信じ続ける男のローカルマーケティング哲学 #前編

読了時間の目安: 約3分
#事業承継#静岡県富士市
ザキさんのプロフィール画像
山崎 啓輔(ザキさん)

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「発信はできないやつがするものだ!と言い切る社長がいるんです。」

富士市を拠点に企業の挑戦をデジタルマーケティングで支える、株式会社カブフジ代表の伊藤浩二さん。

JC(青年会議所)理事長としても地域貢献する伊藤さんは、一見クールながら、実は1つのことに狂気的なまでに没頭する、超ストイックな経営者。

しかし、その胸の内には4人の子どもの父親として未来に希望を繋げたい思いと、「生まれ育った富士市への圧倒的なギブ精神」がありました。

今回、ザキヤマは、富士市の製造業にあるメンタルブロックを壊し、地域をアップデートさせようと使命感に燃える伊藤さんの過去と未来に迫ります。

話を聞いた人 株式会社カブフジ 代表取締役 伊藤 浩二さん
伊藤さんが挑戦していること 富士市の企業をデジタルでアップデート
この記事のポイント ・「事業承継後のしくじり。現場との衝突は耐えなくて…」
・「一度決めたら狂気的にのめりこむ性格!奥さんと二度の○○」
・「正気の沙汰じゃないプレゼン対決に登壇して得たものは」
事業内容 ホームページ制作、マーケティング支援、デザイン・ブランディング
URL 株式会社富士(通称 カブフジ)

※取材時点の情報です。

創業65年のアナログ老舗を襲った危機の波と、強引すぎた「第二創業期」のしくじりとは?

ザキヤマ:
今回の「マーケの現場から」は、先日も富士でAI活用セミナーを開催してくれた伊藤さんです!セミナー、ものすごい盛り上がりでしたね!参加者のみなさんの熱量が高くて、本当に最高でした。

伊藤さん:
こちらこそ、ありがとうございました!質問もたくさんいただき、関心の高さを感じましたね。

富士で開催したAI活用セミナー

ザキヤマ:
セミナー後に、何か反響とかありました?

伊藤さん:
何人かから話を聞いたんですけど、「本当にためになったよ」っていう声をいただきました。

ただ、僕としての感想は、もう少しライトな感じでも良かったのかなとも思っています。あるいは、記事作成や資料作成、提案書作りに絞るとか、用途を明確に限定した形も求められているんだなと感じましたね。

皆さん、僕らが思っている以上に、日常の実務でAIをまだまだ使っていないんですよ。

ザキヤマ:
いや、本当に使ってないっすよ!

だからこそ、前に僕と伊藤さんがエレベーターの中で喋った「街の電気屋さん」みたいな存在が必要なんですよね。ちょっと困ったときに気軽に聞ける、そんな立ち位置のビジネスができないかなって。

伊藤さん:
セミナーでも「環境が大事」と言いましたけど、ちょっとしたつまづきを気軽に聞ける環境があるかどうかですよね!僕にとってはそれがマーケサロンなんです。

株式会社カブフジ 代表取締役・伊藤浩二さん

ザキヤマ:
いい流れをありがとうございます(笑)

では、そろそろ本題に入っていきましょう!まずは改めて自己紹介をお願いします。

伊藤さん:
株式会社カブフジの代表をしております、伊藤浩二です。

弊社は今から65年前に創業した会社で、最初は「複写」という、図面のコピーや製本といったアナログな仕事からスタートしました。今でもその事業は残っているのですが、時代の変化に合わせて、印刷、広告、そして企業のマーケティング関係の支援へと事業を広げてきました。

私自身は今年で38歳になります。大学を卒業してからの3年間は、東京の不動産会社に勤めていました。そのまま東京でキャリアを積むつもりだったんですが、当時、会社にいた私の兄から「富士に戻ってきて一緒に働いてほしい」と言われまして。

前の不動産会社でも、「自分なりにやるべきことはやりきった。一旦区切りをつけてもいいかな」と思えたタイミングだったので、25〜26歳のときに富士市に帰ってきました。それから会社に勤めて11〜12年ほど経ち、4〜5年前の2021年に4代目の代表取締役に就任しました。

株式会社カブフジのHPより

ザキヤマ:
20代半ばで東京から戻ってきたんですね。そもそも、最初から家業を継ぐつもりはあったんですか?

伊藤さん:
これは、大学時代のバックボーンにちょっとしたきっかけがあるんです。

私は静岡大学の工学部に入学したんですが、1年くらい専門的な勉強をしていくうちに、「このまま進んで、将来自分はどんな仕事をするんだろう?」と考えたとき、工業やメーカーのエンジニアとしての道には進みたくないな、と思ってしまって。

むしろ、自分で何か「経営者をやりたいな」という思いが漠然と湧いてきたんです。

ザキヤマ:
学生時代から、経営者志向があったんですね!

伊藤さん:
それで、大学2年のときに学部を移動する制度を使って、浜松の工学部から、静岡の経済や経営が学べる人文学部(現在の経済シラバス領域)へ転部しました。当時はまだ、実家の会社に戻るつもりは全くなかったんですけど、いつか起業したいなという思いを抱えながら、学生時代は経済や経営の勉強に没頭していました。

学生時代の伊藤さん

伊藤さん:
その後、東京でのサラリーマン生活を経て、巡り巡って今の会社に戻ってきたという形ですね。現在は富士青年会議所(JC)の理事長をやらせていただいたり、その前年くらいからザキさんの静岡マーケティングサロンに入らせていただいて、いろんな人脈や刺激をいただいて今に至ります。

……ざっくりとした経歴ですけど、大丈夫ですか?

ザキヤマ:
めちゃくちゃドラマがあるじゃないですか!

伊藤さん:
自分自身の経歴を大々的に書いたり喋ったりするのって、なんだか恥ずかしくて。誰が興味あるのかなって思っちゃうタイプなんですよ(苦笑)

ザキヤマ:
いやいや!興味ありますよ!

ちなみに僕なんかは、自分のキャリアの授業をするとき、自己紹介のスライドだけで2枚目も3枚目も使って、高校はどこで、大学はどこで、ってベラベラ喋りまくって、それで時間のほとんどが終わっちゃうときありますからね(笑)

伊藤さん:
ハハハ、ザキさんはそれが魅力ですからね(笑)

事業承継後にスピード感をもって変革をしかける社長!一方、現場との衝突は耐えなくて…

ザキヤマ:
カブフジさんの沿革を見ると、2001年に「デジタル事業」って書いてありますが、これは具体的に何をされていたんですか?

伊藤さん:
僕が入社する前なんですが、古いビデオテープ(VHSなど)をデータ化して復元するような、データ変換やメディアの復元仕事をやっていました。複写や製本という基幹事業が、デジタル化によってどんどん右肩下がりになっていく中で、少しずつ「自分たちにできることの幅を広げていこう」と、もがきながら挑戦していた時期ですね。

ザキヤマ:
この頃から、危機感を持っていたんですね。
その後、伊藤さんが、さらに変革をしかけていったわけですか。

伊藤さん:
2011年に僕が戻ってきて、その2年後の2013〜2014年頃に屋号を現在の「カブフジ」に変更しました。そこから本格的にデザイン業務やホームページ制作を開始したんです。スピード感を持って仕事の幅を広げていったのが、ここ10年くらいの話です。

ザキヤマ:
時代と共に技術もニーズも変わっていく中で、伊藤さんの新しいやり方は、古いやり方にプライドを持っていた社内のベテランスタッフさんにどう受け止められたんでしょうか。

反発とか、大変だったことはなかったですか?

伊藤さん:
やっぱり、人間誰しも「やったことがない新しいものをやる」ことに、強い抵抗感や拒絶反応がありますよね。

「そんなのやったことがないからできないよ!」って、現場との衝突は、数え切れないくらいありました。僕としては、「今までのやり方にしがみついていたら会社の未来はない!生き残るためにやるんだ。」という強い危機感があったので、何が何でも押し進めたかったんです。

でも、実際に手を動かすのは従業員ですから。意識のギャップは本当に埋めるのが難しかったです。僕のやり方に納得がいかないと、しばらくして会社を去っていった人たちも何人もいました……。

ザキヤマ:
経営陣の危機感と現場の体感のギャップですね。どうやって突破したんでしょう?

伊藤さん:
当時は僕も若かったですし、話し合って納得してもらうのを待つより、ある程度は「トップダウンの強引さ」とスピード感を持ってやらないと会社が潰れてしまうと思っていました。

だから、かなり強引に突き進めましたね。今振り返れば、もう少し従業員の気持ちに寄り添ったやり方があったんじゃないか、若気の至りだったなと反省する部分もたくさんあります。

一度決めたら狂気的に熱中する!1日10時間勉強。10個上の先輩にも意見する強い信念。

ザキヤマ:
でも第二創業期の経営者としては、その強引さがないと乗り越えられない壁もありますよね。

伊藤さんのその熱中すると周りが見えなくなる感じは、学生時代のサッカー経験からもきているんですか?

伊藤さん:
それは確実にありますね。小学校から高校までずっとサッカーをやっていたので、基本的にはスポーツ少年でした。

学生時代、サッカーに打ち込んでいた伊藤さん

伊藤さん:
昔から、1つのことに火がつくと狂気的なまでに熱中してしまうタイプなんです。高校は地元の進学校(富士東高校)に入ったんですが、サッカーばかりやっていて勉強を全くしていなかったので、高2の模試の時点で志望校が全部「E判定」だったんです。

「あれ、俺ってこんなに頭悪かったんだ。サッカーばかりやってる場合じゃないな」って急に焦り出して(笑)。

ザキヤマ:
そこで火がついたんですか?

伊藤さん:
はい。高2の夏から塾に入って、今度は勉強に猛烈に熱中し始めました。1日10時間勉強するのも、全然平気です。同じことを淡々と継続する能力だけはあるんですけど、裏を返せば、周りが一切見えなくなる。視野が狭くて、心に余裕がなくなっちゃうんです。自分でも本当に頑固だと思います。

どうでもいい話は聞いてるフリをして聞き流せるんですけど(笑)、「自分がこれは絶対に正しい!」と思ったことは、絶対に曲げないし押し通す。学生時代よりも、社会人、特に経営者になってからその頑固さがさらに強くなりましたね。

ザキヤマ:
責任の大きさが違いますからね。

伊藤さん:
サラリーマン時代を振り返っても、入社1〜2年目の新人のくせに、10個上の先輩に対して「いや、絶対にこっちのやり方のほうがいいじゃないですか!」って平気で噛みついて、よく大喧嘩していました(苦笑)。

それで関係がギクシャクした後に、どうしてもその先輩の力を借りなきゃいけない仕事が出てきて、「あのときは本当に生意気言ってすみませんでした!」って頭を下げに行く、みたいなことを何回も繰り返していましたよ(笑)

ザキヤマ:
最高じゃないですか!(笑)

マーケサロンのメンバーって、若い頃に会社とぶつかってきた生意気な新人だった人が大半なので、めちゃくちゃサロンメンバーらしいエピソードです。その頑固さと集中力が、今のカブフジの推進力になっているんですね!

奥様と2回別れたストイック男が「4児の父」に!子育ての時間が故郷への使命感となって

ザキヤマ:
ちなみに、奥様とご結婚されるまでも、ストイックなあまり紆余曲折あったというのは本当ですか?

伊藤さん:
奥さんとは富士に戻ってきて2年後の、27歳のとき(2013年頃)に結婚しましたが、本当に、感謝してもしきれないんです。というのは、大学2年(20歳)のときに付き合い始めてから、結婚までの間に2回別れてるんですよ。。

ザキヤマ:
え、2回も!?それはなぜですか?

伊藤さん:
1回目は、大学時代。僕が経済の勉強をしたくて浜松の工学部から静岡の人文学部に転部したときです。「もっと勉強に集中したいから、一回距離を置いて別れよう」って僕から言ったんです。で、しばらくしてまた僕から「やっぱりもう一度付き合ってください」って頭を下げて戻ってもらいました。

2回目は大学を卒業して東京の不動産会社に就職したとき。今度は「東京の過酷な環境で成果を出さなきゃいけないし、宅建などの資格も取らなきゃいけない。仕事に100%集中したいから」という理由で、また僕から…。

今思うと信じられないくらいストイックというか、自分勝手すぎますよね(苦笑)。

ザキヤマ:
いやぁ、奥様が神様みたいに器の大きい方で本当に良かった(笑)!でも、結婚してお子さんが生まれてから、ストイックさにも変化があったそうですね。

伊藤さん:
はい。今は双子も含めて4人の子どもたちに恵まれて、家族と一緒に過ごす時間が、本当に愛おしくて楽しいんです。子どもたちが成長して、彼らの習い事を応援するのが自分の生きがいになっています!

伊藤さん:
仕事一辺倒だった人生に、良い意味での「強制ストップ」がかかるようになったんです。家族の時間、そしてJCの時間、仕事の時間と、人生のバランスが取れるようになったのは、ここ最近の大きな変化です。

家族と過ごす時間を大切にする伊藤さん

ザキヤマ:
家族という守るべき存在ができたことが、今回のテーマである「なぜ富士市で事業をやるのか」という地域への想いに繋がっていくんですね!

伊藤さん:
まさにその通りです!

東京から富士に戻ってきた当初は、さっきも言った通り地域貢献なんて考える余裕は1ミリもなくて、とにかく会社の売上を立てて、生き残ることで必死でした。

でも、子どもが生まれて、JCの活動で地域の泥臭い課題に直面したり、地元の経営者や多くのお客さんと深く関わる中で、自分の死生観というか、人生のゴールが変わってきたんです。

ザキヤマ:
死生観ですか。

伊藤さん:
「自分もいつかは死んで、この世からいなくなる。その短い人生の中で、自分の存在意義って一体何なんだろう?」と考えたとき、僕が今持っているマーケティングやデザインのスキル、割いている時間で一番役に立てる相手は、自分たちの売上の8割を占めているこの富士・富士宮エリアの人たちじゃないかって。

この地域で、自分のリソースを有償・無償問わずに提供して、周りの人に喜んでもらうことこそが、自分自身の最大の幸せなんだと気づいたんです。

ザキヤマ:
わかります。

伊藤さん:
いま、地方はどこも人口減少が止まらず、若者がどんどん東京に流出して、街の魅力が失われつつあります。このまま僕らの世代が何もせずに街をほったらかしにしていたら、僕らの子どもたちの世代が現役になったとき、あまりにもかわいそうな衰退した地域が残されてしまう。そんな未来にしたくない。

「僕を育ててくれた富士市のために、今できることを全部やろう!」という強い使命感が湧いてきたんです。もし僕が独身のままだったら、この「未来の子どもたちのために地域を守る」という視点には、絶対に気がつかなかったと思います。

地域の子どもたちと活動。

➡️後編に続く:「町工場の未来はマーケティングでもっと面白くなる!」富士市の製造業に眠る可能性を信じ続ける男のローカルマーケティング哲学 #後編

(記事編集:しあわせ販促工房 窪田てるみ、記事企画/ディレクション:ありかた 片井義之)

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