「あの決断がなければ倒産してた!」会社の存続をかけた苦渋の選択が、未来へバトンを繋げてくれた。

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#事業承継
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山崎 啓輔(ザキさん)

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「まさか、継いでくれると思ってなかった。」

2代目・治郎さんが作った借金のため、愛着のあるスポーツ用品店を閉めた、ヤマザキスポーツの先代・明さん。

プール工事業を拡大しながら、もう一つの柱として、学習塾に参入!複数事業にトライすることで、必死に会社を守り続けていましたが、ある日、家族2人が同時に亡くなるという悲劇が襲います…。

大きすぎるショックに「もう会社はたたもう。」と事業を縮小させていく明さん。一方、静岡で働き始めたザキヤマは、屋号の価値を再認識していました。

ヤマザキスポーツの事業承継をめぐる、父と息子それぞれの思いに迫ります!

▼前編:
「えっ、まさかの4代目!?」ザキヤマも初めて知った、ヤマザキスポーツの歴史

地域に親しまれたスポーツ用品店をたたむ!…苦渋の決断。

てるさん:
1991年(平成3年)に、「静岡市紺屋町 西武デパート前の小売店舗を閉鎖」とあるのですが、ヤマザキスポーツの店舗を閉じることになった経緯をお聞かせいただけますか?

明さん:
当時の売上が壊滅的だったわけではないけど、先代の治郎さんが事業拡大の中で膨らませた多額の借金が重くのしかかっていたんです。建設業の方での借金ですね。あとは、お店の場所を担保にして資金を回してたりもしていました。

ザキヤマ:
それで、銀行主導で整理が進んでいった感じなんですか?

明さん:
三菱UFJ銀行がうまくまとめてくれてね。ちょうどケンタッキー(三菱グループ)が出店先を探していたタイミングで、賃貸契約の際に入る多額の敷金を一気に借金返済に充てるという、いわば「資産の組み替え」を行ったんです。銀行とも話し合いを重ねながら、店舗に使っていた場所をテナントとして貸し出すことになりました。

ザキヤマ:
出したい側と借りたい側が、ちょうど合ったわけですね。

明さん:
高く売れるうちに整理してしまったことで、借金の返済にはなったからね。正直、お店への愛着もあったけれど、もしあの時に決断していなければ、今頃は倒産して何も残っていなかっただろうと思うよ。この決断のおかげで、ヤマザキスポーツは無借金経営に転換し、存続することができたんだね。

ザキヤマ:
結果的に良かったんですね!

明さん:
本当に、結果的には良かったよ。もちろん失ったものもあるけどね。無借金で引き継いでもらえたのはありがたかった。平成3年の頃かな。静岡市紺屋町にあったスポーツ用品部を閉鎖して、馬淵の工事部本社と統合したわけです。

てるさん:
啓輔さん(ザキヤマ)が物心ついた時には、すでにお店はなかったんですか?

明さん:
啓輔が3歳の時にお店はなくなってたから、工事会社として記憶してるわけです。代表の交代がその後の平成13年だから、この時はまだ治郎さんが社長でしたね。

2代目・治郎さんの作った社歴を参考に、当時を振り返ります。

ある日、お父さんが塾長に?!親子の共通点は意外なところに。

てるさん:
店舗を閉めた後は、プール事業に注力されていたんですか?

明さん:
そうですね。治郎さんは静岡県スポーツ施設工事業組合の組合長もやっていました。
平成13年には私が会社の代表取締役に就任して、治郎さんが会長になってね。

以降は自分が営業担当、弟が施工担当という感じの二人三脚でした。平成14年時点でプール工事実績が累計約200カ所とあるので、結構がんばっていましたね。

※プール工事のイメージ

てるさん:
プール工事以外にも別事業をされていたそうですが。

明さん:
そうなんです。フランチャイズの学習塾をやりました。

ザキヤマ:
びっくりしましたよ!
高校生の時に、気づいたらお父さんが塾長になってたんですから(笑)!

明さん:
そうなんだよね(笑)。
まあ親父に似たんですよ、何も言わずにやるっていうところはね。

てるさん:
とすると、親子2代でフランチャイズをやっているってことですか?(笑)

ザキヤマ:
確かに!
僕がやってる「セルフ脱毛サロンハイジ」もフランチャイズですからね。
ここでまさかの共通点が!(笑)

てるさん:
塾は何年ぐらいやったんですか?

明さん:
8〜9年ほどやりました。学習塾は設備投資が少なくて済むし、工事以外のもう一つの柱を作ろうと必死だったんだ。最初の3〜4年ぐらいは良かったんですよ。生徒が70人ぐらいいた時もあって。

てるさん:
それはすごい。どういう方針の塾だったんですか?

明さん:
進学塾というよりは、集団では勉強しにくいタイプの子に向けた塾です。そういう子って意外と多いんですよ。2番、3番手ぐらいの子が。

ザキヤマ:
確かに「新しい塾ができたら行ってみよう」ってなるパターンは多いですよね。美容院みたいな感覚で。

明さん:
そう。美容院と一緒なんだよね。新しいところに来てくれるけど、結果が出ないとまた移ってしまう。少子化も重なって、徐々に厳しくなっていきました。

てるさん:
治郎さんは、学習塾を始める時に何か言ってましたか?

明さん:
心配してましたよ。初めてのことだからね。「大丈夫か?」って。まあ、親父に似た面があるから、心配するのは当然ですよね(笑)。

てるさん:
その後、さらに保険代理店もやってたんですよね。

明さん:
アフラックの代理店も、3〜4年やりました。付き合いのある方々に勧められるかなということで。ただ法令が変わって、片手間ではダメになってしまったんです。専業じゃないといけなくなったので。

ザキヤマ:
なるほど、法律の壁に当たってしまったんですね。

事業を終わらせるきっかけは、弟ひとしさんを失ったこと

てるさん:
最後に事業をたたんでいかれた経緯を教えてください。どのタイミングで引退を考え始めたんでしょうか?

明さん:
やっぱり一番大きなきっかけとなったのは、2015年に弟が亡くなったことですね。技術的なことは全部任せていて、相談しながら一緒にやってたもんだから。片腕どころじゃなくて、両腕がなくなったみたいにショックだったし、仕事に対してもどうしたらいいものかと途方に暮れました。資金面でも支えてくれていたからね。

しかもこの時は、弟とおばあちゃんが同日に亡くなるという、信じられないような悲劇が起きたんです。

てるさん:
えっ…。同じ日に?

ザキヤマ:
そうなんです。
午前と午後、東京と静岡でそれぞれ亡くなったんですよ。だからお葬式も同時で。

てるさん:
それは……衝撃ですね。

ザキヤマ:
事故にあったんじゃないかって思う人もいましたよね。

明さん:
言われましたよ(笑)。2人とも病気でしたけど、タイミングがね。

てるさん:
ビジネスパートナーでもあった弟さんが亡くなられて、事業をたたもうという決意につながったんですね。

明さん:
精神的にもつらいことが重なったし、技術の要だった弟がいなくなってしまった。自分も年齢的に65歳ぐらいが区切りかなと思ってたこともあって、「もう潮時だ、会社をたたもう」と本気で思ったんだよ。それが、2015年です。

以降は、新規のプール工事を受注するというより、作ったもののメンテナンスだけをやりながら、徐々に事業を縮小していきました。

ザキヤマ:
精神的なショックが相当大きかったんですね。

明さん:
大きかったですよ。年下が先に逝っちゃうっていうのはね……。
しかも、弟が住んでいた馬渕の家が空いちゃったんです。人がいなくなってしまったから。

ザキヤマ:
そこに、私たちが引っ越してきたんですよ。子どもが生まれて、東京で子育てしながら奥さんが大変な時期もあったので、「静岡に帰ろうか」という話になって。

明さん:
そうだったんだ。まあ、それならそれで、よかった。
会社自体はもうたたむかなと思ってたんです。終わらせるつもりだったから。ただ不動産とかいろんな資産があったので、それを含めて継いでくれるっていうこと自体がありがたかった。

ザキヤマ:
色んなタイミングが重なり静岡に帰ったことが、のちの事業承継にも繋がってますからね。

ザキヤマはなぜ、名前を継ぎたいと思ったのか?

てるさん:
啓輔さん(ザキヤマ)が静岡に戻ってくるって聞いた時はどう感じましたか?

明さん:
全くの想定外でしたよ。結婚して東京の大企業でずっと働きながら暮らすんだろうなと思ってたからね(笑)。まさか戻ってくると思わなかったし、ましてや、ヤマザキスポーツの名を継いでくれるとも思わなかった。

ザキヤマ:
ははは(笑)
私も戻った当初は、全く継ぐつもりがなかったんです。普通にトムスに就職して、会社員として家族を養っていこうと思ってたわけですから。

明さん:
でも彼が「ヤマザキスポーツという名前を消したくない」と言ってくれた時は、驚きと共に、どこか救われたような気持ちもありましたね。

てるさん:
ザキさんは、どうして名前を継ぎたいと思ったんですか?

ザキヤマ:
僕はマーケティングの仕事をする中で、地域に根付いた「屋号」の価値を再認識していたんです。地元で仕事をするようになったら、周りの人たちから「ヤマザキスポーツにはお世話になった」「ヤマザキスポーツ知ってるよ!」という声を、ものすごくたくさん聞いたんです!

明さん:
へー、そうだったの。初めて聞いた(笑)
嬉しいね。

ザキヤマ:
自分が知らない時代のことを、覚えてくれている人たちが、こんなにいる!
先代たちが数十年にわたって蓄積してきた信頼や記憶は、何物にも代えがたい資産です。

今の僕の仕事と内容は違うけど、この「ヤマザキスポーツ」という名前を背負って、新しい時代を切り拓いていきたいと思ったんです。

明さん:
そうだね。事業内容は違っても、利用できるものは何でも利用すればいいと思う。自分は執着なくやってきたけど、啓輔なりの考えで、時代に合わせて活かしていけばいいんじゃないかな。

「自分なりのこだわりを貫き通してもらいたい。」託したいのは自分ができなかったこと

てるさん:
最後に、先代社長として、啓輔さん(ザキヤマ)に伝えたいことってありますか?

明さん:
なかなか家庭だと言いにくいことってあるんでね…。やっぱり自分と違うことをやってもらいたいということかな。自分なりのこだわりをね。なければ作るということで、それを貫き通すようなこだわりを持ってもらいたいなと思ってます。自分にはそれがなかったもんですから。

てるさん:
おっしゃってましたよね、「あんまり執着がない」って。
でも、学習塾や保険代理店をやってみたりと、結構チャレンジしている印象です。
トライ精神は継承しているんじゃないでしょうか?(笑)

ザキヤマ:
ナイストライですね!(笑)
あと、子どもの時から自由にやらせてもらってきて、「こうじゃないとダメだ」みたいなことを、あまり言われなかったのは感謝してます。

てるさん:
今のザキさんのキャラクターを育んだ土台かもしれませんね。

ザキヤマ:
それはすごく感じてます。家庭環境が大きかったなと!

明さん:
東京のJ:comで鍛えられて、営業で鍛えられて、トムスで鍛えられて……全部が繋がってますよ。そのコミュニケーション能力は大変ありがたいし、伸ばしてもらいたいと思います。自分が弱い部分は専門家に任せながら、自分の強みを生かしてやれるところをやっていってほしいなと、今回のインタビューを通して、改めて思いましたね。

ザキヤマ:
僕も、ヤマザキスポーツという名前の価値とその歴史を使わせていただいているんだなと、つくづく感じました。創業者の喜一郎さん、治郎さん、そして先代からこうやって繋がってきてるんですよね。しっかり受け取りたいと思います。

先代のバトンを受けて、ザキヤマ走ります!

明さん:
お客さんに向き合い続ければ、続くものは続く。みんなが本当に言っているのは、時代が変わっても、「生き残ったもん勝ち」という商売の本質は変わらない。これを忘れずに、自由にやってほしいと思っています。

ザキヤマ:
生き残ったもん勝ち。ほんとにその通りです!
いやー、今日も知らない話がだいぶ出てきましたよ!こういうインタビューの機会がないと、なかなか聞けないですもんね。

明さん:
そうだね。まあ、いい機会になりました。

てるさん:
貴重なお話をありがとうございました!

ザキヤマ:
ありがとうございました!

ナイストライ!

取材協力、ありがとうございました!

【編集後記 byよっしー】
明さん、取材協力ありがとうございました。
ヤマザキスポーツさんの社歴を拝見していて…マクドナルドに賃貸していた「紺屋町ビル」、実は高3当時、週末はいつもここで、朝の受験勉強の場所として使わせてもらっていました(笑)。
今の自分があるのも、マクドナルドに賃貸してくださったザキスポのおかげです!!
ありがとうございます!

(記事編集:しあわせ販促工房 窪田てるみ、記事企画・ディレクション:ありかた 片井義之)

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