「会社はたたむつもりだったんだよ。」創業106年!先代・山﨑明さんに聞いた、ヤマザキスポーツの歴史と生き残ったもん勝ち戦略。
「もう終わらせようと思ってたんです。」
そう語るのは、株式会社ヤマザキスポーツを長年支えてきた先代・山﨑明さん。
地域に根ざしたスポーツ用品店として、今も人々の記憶に残るヤマザキスポーツ。しかし、その歩みは決して順風満帆ではありませんでした。
父への反発。
膨らむ借金…。
スポーツ用品店にとどまらず、プール工事、学習塾、保険業と挑戦を重ね、時代の荒波を生き抜いてきた明さん。しかし、ご本人は「流されて生きてきたよ」と笑います。
先代インタビューからひもとく、ヤマザキスポーツの歴史と再生の物語。ぜひご覧ください!
| 話を聞いた人 | 山﨑明さん(ザキヤマ父) |
| 明さんが過去、挑戦したこと | 「株式会社ヤマザキスポーツ工事」を事業承継 |
| この記事のポイント |
・「大学4年で愛知県の店舗修行を決意」 ・「2代目・治郎さんへの反発と葛藤」 ・「親しまれた店舗を閉鎖…苦渋の決断」 ・「まさか?想定外だったザキヤマの事業承継」 |
| 事業内容 | スポーツ用品店、プール工事・建設業、学習塾、保険代理店 |
| URL | https://www.zakispo.biz/(現ヤマザキスポーツHP) |
※取材時点の情報です。
このページの目次
ヤマザキスポーツの歴史年表(概略)
※さらに詳しい歴史はヤマザキスポーツHPの会社案内へ

「えっ、まさかの4代目!?」ザキヤマも初めて知った、ヤマザキスポーツの歴史
てるさん:
今回はザキさんのお父さま、山﨑明さんにヤマザキスポーツの歴史について伺いながら、明さん時代の事業内容や、啓輔(ザキヤマ)さんに事業承継するまでのお話を伺っていきます!
ザキさんって、実はアトツギなんですよね。
ザキヤマ:
そうなんですよ!
法人化するときに、父の会社を名前だけ継がせていただきました。
今回、親子2人だと照れくさいので、てるさんと一緒にインタビューしていきます!

てるさん:
始める前にザキさんへ質問なんですが、なぜ改めてお父さんに取材しようと思ったんですか?
ザキヤマ:
いま、AIがどんどん出てきて、AI検索にあがることが重要になっていますよね。
そこでふと、ヤマザキスポーツについて調べてみたら、自分が継ぐ前の情報が全く出てこなかったんです!
てるさん:
え、全く?
明さん:
ホームページもなかったからねえ。
ザキヤマ:
どんなに地域で親しまれたお店でも、ネット上にないと、時間とともに消えてしまいますから。これは一度、きちんと聞かせてもらう必要があるなと、取り上げることにしました!
てるさん:
ヤマザキスポーツの軌跡を、WEB上にカタチとして残しておきたかったんですね!
前回、明さんとの顔合わせで伺ったときも、これまで知らなかった情報がありましたよね。
ザキヤマ:
そうなんです!
ずっと僕が3代目だと思っていたんですが、4代目ということがわかって、ビックリしましたよ!(笑)
明さん:
治郎さん(2代目・ザキさんのおじいさん)が作った社歴を見せたのも、初めてだったからね。こういう
機会がなければ、探すこともしなかったと思うよ。

ザキヤマ:
おかげで、ヤマザキスポーツのHPに社歴を載せることができました!
そして今日は、新聞記事を持ってきましたよ。
取材に先立って、御幸町図書館のデータベース検索で、ヤマザキスポーツを調べてきたんです。静岡新聞と日経新聞のアーカイブが専用パソコンで見られるんですが、2つの記事がヒットしました。
これ、覚えてます?
明さん:
ああ、これは組合関係だね。静岡県スポーツ用品商業協同組合を立ち上げた時の記事と、治郎さんが表彰を受けた時の記事だ。1990年の設立から、最後まで理事長だったってことですね。
てるさん:
静岡県の協同組合を立ち上げたのが、先々代の治郎さんなんですか?
明さん:
そうです。国体(全国高等学校総合体育大会)が静岡県で開催されるって決まったんだけど、元々あった県の運動具店の組合が、長年活動休止状態だったんですよ。
ザキヤマ:
動いてなかったんだ。
明さん:
4年前から休眠状態でね。でも国体が来ちゃうわけです。この記事にも書いてあるけど、大会グッズってすごく売れるから1億円ほどのビッグチャンスなのに、組合組織として認可されていないと販売の権利が持てないんですよ。それぞれのお店で売ることができない!
ザキヤマ:
そこで、俺のおじいちゃん…治郎さんが中心となって動いて、県で一本化して設立総会を開いて、知事の認可が降りて、正式に発足したってことですね。1990年。
てるさん:
県の組合を立ち上げて長年運営した人への厚労表彰。
治郎さんって、すごい方ですね。
明さん:
県知事表彰ですから。「265団体と個人を表彰した中で、スポーツ組合の元理事長・山﨑治郎さんが選ばれた」って記事にありますね。86歳のときです。
ザキヤマ:
でも、治郎さんはその2年後に亡くなられたわけですよね、88歳で。
明さん:
そう。間に合って本当によかったよ。
ザキヤマ:
こんな貴重な話も、今まで知らなかったですよ。調べてよかったです!

「この店をやるんだろうな」強い思いはなくとも、楽しかった修行時代
てるさん:
明さんがヤマザキスポーツを先代から受け継いだ時のお気持ちや、経緯を教えていただけますか?
明さん:
はっきり覚えてないんだけど、それほど「会社をやりたい!」って強い思いもなくてね。自分の性格としても執着がないほうだし、思い出もあまりないもんだから、割と流されてそうなった感じです。
てるさん:
でも中学や高校の頃から、うっすら「このお店を継ぐんだろうな」という気持ちはあったんですか?
明さん:
「多分この店をやるんだろうな」っていうことで生きていたような気はするけど、だからといって、大学で特別な資格を取るとか、そういう意識はほとんどなかったですね。
ザキヤマ:
大学は東京の立教だったんですよね。
明さん:
そうです。立教大学。まあ4年間遊んでただけみたいな感じで(笑)。
卒業後は、別のお店で修行みたいなことをして、それが大学4年の時に決めたことだったもんだから、そのまま自分のお店に入ることへの抵抗もほとんどなかったです。
てるさん:
修行はどちらへ行かれたんですか?
明さん:
愛知県の岡崎市にある「オリンピック(※現在の(株)Olympic)」というお店です。昭和50年4月です。
てるさん:
オリンピックさんとの接点は、どうやって見つけたんですか?
明さん:
ボランタリーチェーン(同業種の加盟店グループ)で全国的な「日本スポーツチェーン」っていう組織があって、基本的に1県に1店舗だけが所属できるんです。
静岡県ではうちで、愛知県ではオリンピックさんが代表的なお店だったんですよ。組織的にもしっかりしてるし成長してるしということで、ぜひ行こうということになりました。

てるさん:
面接を受けて、就活のような手順で行ったんでしょうか。それとも紹介で?
明さん:
ほとんど紹介で、最初からほぼ決まってたようなもんだったけど、一応向こうの社長が静岡まで来て面接をしてくれました。まあ落とされることはないとは思ってたけどね(笑)。
てるさん:
何年間の修行だったんですか?
明さん:
3年間です。昭和50年から53年まで。
てるさん:
どんな業務をやってましたか?
明さん:
事務関係から接客、倉庫の管理、配送と、全般ですね。販売に関わることを全部やってましたよ。若かったから、何をやるにも楽しかったです。
100人ぐらいいる会社で、愛知県ではトップクラスでした。当時はアルペンとオリンピック、あとビクトリアとかが並んでた時代です。
ザキヤマ:
3大スポーツショップですね!
明さん:
そう。スキー用品を中心に、結構いいものを扱っていました。昭和50〜80年代はすごく成長の時代でしたけど、当時は第2次オイルショックで、就職は厳しかったんです。
てるさん:
トイレットペーパーの買い占めがあった時代ですね。
明さん:
だから私の同期なんかはかなり苦労してましたよ。内定取り消しとかもあって。
ザキヤマ:
僕らで言うとリーマンショックの2008年ですよ。就職活動の真っ最中に突入しちゃって……。1個上の学年までは、超売り手市場だったのに!
明さん:
そうだよね。その後は東日本大震災でしょ、コロナでしょ。
ザキヤマ:
バブル崩壊、氷河期、リーマンショック、震災、コロナ……。
大きく変わるタイミングが、定期的にありますよね。

時代のニーズをつかんだプール工事業で大躍進!
てるさん:
愛知での修行時代は楽しくて、一通りのことを覚えて、3年後に静岡の店舗へ戻ってきた時はどんな感じでしたか?
明さん:
やっぱりお店の雰囲気も違うし、修行先のマンモス店とは規模もやり方も全然違っていましたね。はっきり言って、うちの父から何か教わったっていう記憶はほとんどないけれど、そのぶん「ああしろこうしろ」とは一切言わず、「好きにやれ」と任せてくれました。
てるさん:
じゃあ、割と自由にやっていいよと?
明さん:
そうですね。当時は僕も若いしやる気があったから、スキー用品を主力に据えたり、品揃えを一新したり、店を大改装したりと、どんどん自分の色を出していったね。改装にお金はかかったけど、売上は右肩上がりで、最初の数年間は本当に調子が良かったんだよ。
てるさん:
入社時の立場は何だったんでしょうか?
明さん:
専務で入社しました。父が社長で、私が専務です。後継ぎということでね。
ザキヤマ:
その頃、おじいちゃんは店には立っていなかったんですか?
明さん:
ほとんどタッチしていなかったね。実は父の方は、別の事業……「プール建設とメンテナンス事業」で目が回るほど忙しかったんだ。昭和50年代は、子どもたちの体力向上のために、学校プールの建設が国を挙げて推奨されていたってこともあってね。正社員を雇って現場を回してたし、自分がそちらを手伝うこともあったくらい。
てるさん:
スポーツ用品店とプール工事の、2つの事業部があったわけですね。

ザキヤマ:
でも、なんで治郎さんはプール工事に目をつけたんでしょうね?
元々は小売りだったわけでしょ?
明さん:
本人から聞いたことはなかったけど、やっぱり小売の先行きに限界を感じていたんじゃないのかな。新規事業として建設業に目をつけて、昭和56年に一般建設業の許可を取ったんですよ。
てるさん:
弟さんが技術的な担当をされてたんですよね。
明さん:
うちの弟は東京電機大学を卒業したあと、取引先の三晃金属工業株式会社で2年間修行して、二級建築士を取得したんです。その技術を活かすべく、プール工事部内に二級建築士事務所を開設してね。技術的な分野は弟が担当してくれていました。
てるさん:
明さんがお店を担って、治郎さんと弟さんが工事部門を請け負っていたわけですね!
明さん:
弟が入社した昭和55年からは、そういう形でした。
昔のプールはコンクリート製が主流だったんだけど、消毒用の薬品でコンクリートが溶けてボコボコになったり、地盤沈下でプール全体が傾いたりと問題が多かったんですよ。そこに父が目をつけたんだろうね。

てるさん:
プールが溶けちゃうなんて、危険ですものね。
明さん:
溶けて骨材が出てきちゃって、水着が傷んじゃったりしてね。だから改修する時期になった学校や施設に行って「金属製やステンレス製、FRP製の最新型プールに替えませんか?」って営業をかけていったわけです。
ザキヤマ:
なるほど!その切り替えの時代に合ったビジネスだったんですね。しかも学校のプールって夏休みだけで2ヶ月しか使わないのに、維持コストがかかる。
明さん:
だからこういう金属プールに替えましょうってのは、割と刺さったんでしょうね。営業すればかなり作ってもらえてたので、勢いはすごかったですよ。
ザキヤマ:
当時のプール市場ってそんなに大きかったんですね。ほぼすべての学校にプールがありましたよね。
明さん:
教育として、水泳が重要視されていた時代だったからね。

「父のことは好きじゃなかった」商売人としての治郎さんと価値観の違いに葛藤
てるさん:
経営者としての治郎さんについて、印象に残っていることや、影響を受けたことってありますか?
明さん:
はっきり言ってね……父のことはあんまり好きじゃなかったんですよ。どっちかというと嫌いだったもんだから。
ザキヤマ:
え!それは正直に話してくれてありがたいです(笑)。
どんなところが?
明さん:
なんて言うのかな、人のことをあまり大切にする人じゃなかったんだよ。今の経営感覚からすると、父はかなり極端な「利益追求型」の商売人。例えば、「人件費が高くなる前に、社員にはどんどん回転(入れ替わり)してもらった方がいい」と平気で考えるようなところがあって、人を育てるという視点が希薄だったんだね。
ザキヤマ:
うーん……今の経営者の考えとはちょっと違いますよね。息子としては、そのドライな姿勢に反発もあったわけですか?
明さん:
そう。根本的な人柄としてはいい人なんだけど、お金の使い方とか従業員への接し方とかに対しては嫌いだったんです。だから、なかなか先代の言うことをそのまま聞いてどうのこうのっていう覚えは、あんまりないんだよね。
ザキヤマ:
ただ仕事に対してはすごく熱心だったと。
明さん:
仕事に対しては熱心でしたね。家族を養うために、どうすれば利益を出せるか、そのことを常に考えてた人でした。
ザキヤマ:
建設業界内での「付き合い」が、昔はかなり強かったって聞きます。当時はそういうロビー活動みたいなこともあったんですか?
明さん:
正直に言えば、ありました。業者同士の単なる付き合いだけじゃなく、金銭的な配慮もあったから。それを息子に教えるのはどうなのかと、自分としては思ってたけど。当時は当たり前のことだったんですよね。
てるさん:
葛藤があったんですね。
明さん:
ありましたね。「自分はやらないぞ」という気持ちと、時代の流れがそうじゃなくなってきてるということもあったし。ただその姿勢を示すと「じゃあ次の仕事は回さないぞ」と言われたりしてね…。
正論をぶつけても、業界の年長者たちからは「何を言っているんだ!」と袋叩きにされる。仕事を回してもらうためには、ルールに従わざるを得ない現実もあったんだよ。
ザキヤマ:
そうか……サバイバルですね。業界の中で生き抜くために。
明さん:
ただ父としては、家族を養い会社を維持するために、必死に、そして厳しく利益を追求していたんだろうとは思いますね。

➡️後編へつづく:「あの決断がなければ倒産してた!」会社の存続をかけた苦渋の選択が、未来へバトンを繋げてくれた。
ナイストライ!
(記事編集:しあわせ販促工房 窪田てるみ、記事企画・ディレクション:ありかた 片井義之)
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静岡マーケティングサロンは実践者のナイストライを後押しして、実践者同士が生の事例や悩みを共有し「これってみんな、どうしてる?」を聞ける居場所です。
